私のエンディングは、いつだ。
南無阿弥陀佛
東海地方が梅雨入りしました。
例年より2日ほど早く、昨年よりも15日早い事だそうです。
これから雨音を聞く日も増えてくる事でしょう。
夏が大好きな私ですが、実は梅雨は苦手なんです。
じめじめ。
べたべた。
何とかならないものでしょうか。
嗚呼、海の日が待ち遠しい。
待ち遠しい。待ち遠しい。
・・・こんな私ですから、
今日も梅雨さんは雨を降らせて下さいます。
土曜日、お天気にも恵まれまして、
葬儀社様によるエンディングノートセミナーを、無事に終えさせて頂きました。
ご来寺賜りました御方々、ご協力下さいました葬儀社の皆様、誠に有難うございました。
開講前には少しだけマイクをお預かりして、
いかに準備しようと決して万端にはならぬ事、私のこしらえたものが「生きて死ぬ」厳粛な場に間に合うはずなどない事、どうかその想いと共にこの大切な準備をなされて下さい。
とお話させて頂きました。
セミナーでは、ご担当の御方がノートを片手に、ご案内頂きます。
この度のノートは《自己紹介》にはじまり、《介護・看病の希望》《お葬式について》《「今」と「これから」の私》《財産と相続、遺言》《大切な人へのメッセージ》と、6章に渡って解説と書き込みの要領をご教示頂きます。
もちろん好き勝手に自分の要望を書き殴らぬよう、「無理な希望は逆に家族に負担をかける」との注意書きが添えられている事に制作者の御心配りを感じます。
ちなみにセミナーを実際に受講する事も、ノートを手にする事も初めてな私です。
しかし、私は筆が進みませんでした。
何故なのだろうかと今にして自身に訪ね手見ますと、
そうか、私は自分が死ぬ事を我が身の事と納得していない、お別れを実感していないからなのでしょう。
先代住職は「今日できる事は今日やる、明日できる事も今日やる、明後日できることも今日やりたい」というひとでしたが、私は基本的に〆切り間際(もしくは〆切り後)にしか動かない人間だという事は、ココをご覧のお方であればよくご存知の通りです。(今日は日曜日)
このような私が、自身の「〆切り」は、少なくともここ数年はないだろうと思い込んでいますから、一向に筆が進まない。
話の内容も頭に入らない心に刺さらない。
大切な話を他人事にして、知識だけを肥やそうとする悪い癖が起こっていたのでした。
決してセミナーの内容が悪いのではなく、ノートが陳腐なのではなく、聞いているつもりの私に、実は聞く耳が無かったので、全てを台無しにしていたのです。
これは、きわめて悲しいことです。
「ほんとうに聞かねばならないのは、わが耳に痛いこと」とは先師の御言葉ですが、肝心の耳が無い。無い事にも気付かずに、私は今日も息をしています。
そんな私が、今こうしていられるのは、如来様より耳をお借りする瞬間に恵まれたからです。
南無阿弥陀佛を聞くところ、「耳のない人よ」とあわれむ如来様の御手まわしに頭が下がるばかりです。
聞く耳のないものを、佛は心配して、佛の声の聞こえる耳を、佛が与えたもうのである。
川瀬 和敬 師
さて、私の生き物としての〆切り・・・「エンド」は相変わらずわからないままです。
・・・きっとこれからも、わかる必要はないのです。
しかし、生きて死ぬ私の「エンディング」は、ただ今、現在、この瞬間だと、この度思い知らされました。
如来様、これで充分です。
合掌
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