有っても良い。無いのも良い。
南無阿弥陀佛
境内の紅葉がはじまりました。
とはいっても、台風で塩を被った葉っぱさん達は、
夏から変わらず茶色のまま。
このまま落葉するのか、来年の新芽は無事に生まれるのか、
今から心配は絶えません。
心配は、そうせずにはおれない貴方から授かる気持ちです。
でも、私の心配が、イコール貴方の心配事でない事は、
どうか忘れぬよう、忘れぬよう。
扨、この5日(水)からはじまります報恩講に向けて、
この度、髪の毛を短くして頂きました。
切って頂いたのは中学の頃から通わせて頂いている理容店様。
バリカンが苦手な私の為に、もう25年以上ハサミをふるって頂いているのです。
こちらの御主人というか、店主というか、庵主というか、
凝り固まった私の頭にいつも新風を恵んで下さる素敵な御方のお話は今後に譲りますが、
この度も忝く、ハサミだけで仕上げて頂きました。
ちなみに、先代住職も髪の毛の短い人でありました。
いや、短いというか、「全く無い」人でした。
私が生まれるずっと前から、頭を丸めてみえましたので、
小さい頃、父親には髪の毛が無いのだと、
はじめからツルツルなのだと本気で信じていたものです。
そんな姿をずっと拝ませて頂いておりましたから、
住職になったら、いずれは「無し」にしてしまおうと、
五分刈り?いやいや、三分?まだまだ。
坊さんならやっぱりバッサリやってしまおうと思っておりましたから、
理容館の庵主様に「いずれは、スキンヘッドで!」と、
威勢よく約束していたもの懐かしい想い出です。
住職として頂いて間も無く15年。
結局、私は剃らずにいます。
何故ならば、
「剃ったら結婚できないのではないか」と恐れたからです。
坊守は「有る方が良い」と言ってくれるからです。
子供達が「ツルツルはダメ」と抗議するからです。
言い訳を始めればキリがありませんが、
結局の処は「せずにはおれない」御縁が恵まれていないから、なのですね。
私に度胸が無く、元来よりふにゃふにゃの意志しか持ち合わせていないのも事実。
周囲の条件が調わず、「頭を丸める事」への抵抗が存在するのも現実。
きっと私が剃髪するのは、泣く泣く、となるのでしょう。
私のこしらえる望みにも望外にも拘らず、速やかに私をその場に引き摺り出す。
そのようなおはたらきの末に、私は頭を丸めるのです。
好きでやるのではない、しかしせずにはおれないのだ。
呼び出され、促され、そうしてようやく事が為される。
しかしそこに私の手柄はないのですね。
時機純熟。
合掌
追伸、大きくハゲたら、ちゃんと剃ります。
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