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平成30年4月法語



私は念佛を「何かがうまくゆく」事を祈る呪文としてとらえます。


しかし実際は称えたからとて、何一つ「うまくゆく」実感などなく、もし仮に叶ったとしても、それは新たな迷いの素となるにすぎませんから、本当の満足とはいえません。


それでは、「念佛する」とはなんでしょうか?

満たされぬ何かを消すために「私が佛を念ずる」のではなく、私を救わんとして「佛、我を念じたまう

」その光の中で、一切は満たされていた、と頭が下がるのが即ち「念佛する」というすがたなのです。

【住職】


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