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貧乏という豊かさ。


南無阿弥陀佛

秋の日はつるべ落とし。

立冬も過ぎ、どんどん日没がはやまっております。

五時も過ぎれば四半時を待たずのあっという間に。

気温も下がればテンションも下がるという事で、

冬の夕闇は、格別にさみしさをおぼえるものですが、

青い夕日がほんのりと残るその瞬間は、

本来、目には映らない闇が闇としてそのまま浮かび上がる、

稀有なる瞬間なのです。


「ねぇねぇ、うちは びんぼうなの・・・?」

ある日突然、娘が坊守に聞きました。

家庭の、金銭的な、経済的な、心配をしていたのでしょうか。

そこで、すかさず坊守は、

「そうだよ。」と答えたそうです。

それを聞いた娘っ子は「ふ~ん・・・。」と、

納得したような、腑に落ちないような顔をしていたという事でした。

(お寺はおかげさまで困窮しておりません。予てよりの御護り、深く御礼申し上げます。)

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「うちはびんぼうなの??」

こう聞かれたならば、私はどのように答えるでしょうか?

「違うよ、大丈夫だよ。」とか、

「そんなに貧乏ではないよ。」とか、

もしかしたら「あそこよりはマシだよ」とか、

なんらかのカタチで「貧乏」を否定をしたくなる気持ちが、

私の中からは、少なからず起こってくるのが事実です。

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今から30年ほど昔、私が小学生であった頃。

何かどこかの宿題であったか、実際は何であったか定かではありませんが、

【おうちの職業を調べましょう】という課題がありました。

しかして、その日の夜、御夕飯も終わった頃、早速父親に尋ねました。

きっと「おぼうさんだよ」とか「おてらさんだよ」とか答えてくれる事を期待しつつ。

すると父はニコニコしながら答えてくれました。

「ああ、うちはな、乞食やな。」と。

当時、結構ショックだったのを、よく憶えています(笑)

今にして思えば、何もかにも全てが「恵まれたるもの」だという、

御念佛の信心、その妙なる景色に父は楽しんでいたのでしょう。

それにしましても、ショックを受けた当の私は、

幼いとはいえ「乞食」を蔑んでいた事実に相違ありません。

「乞食にはなりたくない。」「貧乏は嫌だ。ダメだ。」との思いがあったのです。

畢竟、「貧乏=不自由」と思い込んで、嫌っていたのですね。

子供ですから、表面に出てくる気持ちや言葉は「貧乏はカッコ悪い」という程度でしょうが、

自分が嫌う、そのような境遇にはなりたくないし、なっているとは認めたくないのは事実です。

「貧乏」とは、「不自由」の象徴であり、「不自由=不幸」と執われていたのです。

そしてその背景にあるのは、私の無限の欲望。

あるもの、あることに満足が出来ない、取り付く島もない一面の沼、底なしの沼。

いかにお金があっても、この身に不自由が少なくても、

私が「無いもの探し」に執心する限り、これを正しく「貧乏」というのです。

如来様の智慧は、「不自由≠不幸であるのだ」と、

私をして「あるものの尊さ」に目覚ましめる御教えです。

それは同時に、そのおかげさまを踏みにじり、他所から幸せを手に入れようとする、

痛ましき我が身を悲しませます。

「我こそ貧乏なり」とうなだれる足元眼前には、

私独りでは抱えきれぬほどの豊かな風光がひろがっているのです。

跡取り息子は現在小学1年生。

そのうちに、私も聞かれるようになるかもしれません。

もしも、そう聞かれたならば、私も坊守と同じく

「貧乏(ゆたか)だよ」と、ニヤニヤしながら答える事でしょう。

信心のひとこそ、たとえ病の床に臥せようとも達者と呼ばれるべきである。(川瀬和敬 師)

合掌

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